38歳で最盛期を迎えたい人の日記

本当は37歳の誕生日に人生で一番美しく順風満帆状態になる予定でしたが そうはならなかったので1年延期です。夫婦2人暮らし団地暮らしのパート主婦

クリスマスの話 2(自分に向き合い編)

前回の”クリスマスの話 1”の続きです。

前回の話は わたしのクリスマスの思い出の概要でした。

ここからが本番で、
起きたことや骨組みより わたし自身の気持ちにフォーカスします。


≪当時のわたしの思いはどうだったのか≫
・覚えているメインのイメージは、みじめな感じと悔しさ。

→本当は華やかに心躍るようなクリスマスを私も送りたいのに、何もできない。
→お金が無くてみじめ、みんなは幸せそう
→わたしのなけなしのお金で買ったチキンをそんなもの呼ばわりされたされた悔しさ
→それでも抗えない無力さ
→自分はクリスマスに1本チキンを食べることも許されないのかという怒り
→お母さんがいなければ時間もお金もあるのにという悔しさ
→お母さんも今日くらい一緒に楽しくチキンを食べてくれてもいいのに
→お母さんも喜んでくれると思ったのに
→楽しく過ごしたかっただけなのに
→こんなことになるならチキンなんて買うんじゃなかった
→もう疲れた…

そんな気持ちがあったのかなと思います。
でも当時は感じれていなかったから 自分の気持ちなんて。
だから あくまでわたしは当時こう感じていたんじゃないかな?ということなんだけど。

今のわたしがあの日の自分に会いに行ったら、まずチキンを買うか迷ってる自分に声をかける。一度家に帰って買い物した食材を冷蔵庫に入れて、財布と携帯だけもってもう一回モスにおいで、あったかいモスの中で一緒にチキンを食べよう!と提案します。

1人1本チキンと飲み物をそれぞれ自分の分だけ買って、
カウンターに横並びして外套を見ながら
”おいしいね””たのしいね””クリスマスだね”
"毎日がんばってるね””誇らしいよ”
って言って一緒にチキンを食べる。

”あなたがキラキラしたクリスマスを過ごしたいなら自分ひとりでしてもいいんだよ。
お母さんはほっとけばいい”

”自分のしたいことを少しずつ叶えるのは楽しいね”

そう言って笑いかけたい。

ちゃんと目の前の幸せをかみしめさせてあげたい。
何一つ踏みにじられないように、助けてあげたい。


今のわたしはそう思います。

部屋でパサパサのチキンを食べてる自分の前に会いにいったなら、
”今、しんどいね。限界だね。せっかくのチキンだったのにね””なんでお母さんってああなんだろうね”って抱きしめて、まずは自分が悲しいってことを気づかせてあげたい。




このブログを書いていて、泣きそうになった箇所があります。
それは
『ちゃんと目の前の幸せをかみしめさせてあげたい。
 何一つ踏みにじられないように、助けてあげたい。』
と書いていた時。


『ちゃんと目の前の幸せをかみしめさせてあげたい。
 何一つ踏みにじられないように、助けてあげたい。』
そんな風に誰かに(本当はお母さんに)思ってもらいたかったよね。


…この自分の気持ちを蓋したままにせず、

拾ってあげられるようになった今はいい調子。


クリスマスの話、もう少し続きます。

(”クリスマスの話 3”へ)